「海と夫と短歌との出会い」 エッセーと短歌  樫村奎子

海沿いのウオーキングロードを三十分程歩いてくると、さあ今日も一日が始まるぞと言うように気分が高揚してくる。今、まさに太陽が昇りはじめる時、朝焼けの海に漁船が漁場を目指して出て行ったり、垂れ込めた曇天に海面が膨れ上がってきたり、海の表情は実に様々である。

海が好きと山が好きとが三十年ともに暮してともに老い初む

 短歌を始めて間もない頃、こんな短歌を詠んだ。そしてそれから早くも二十数年が過ぎようとしている。

漁に出でし夫の船か朝焼けの鮎川沖に点となりゆく

 私が短歌と出会ったのも、この日立の海近く住むことになったおかげである。藤田東湖もこの地に遊んだといわれている「河原子の烏帽子岩」がこんなに身近なものになろうとは、小学五年生の遠足で来た頃には、思いもしなかったことである。どちらかと言えば山が好きだった私が思い込みで、海近く生まれ育った夫と五十年、しかも工場を定年になるのを待ち構えていたように漁師になり、海の幸の恩恵にあずかれるなど、想像だにしなかったことである。そしてその漁師仲間のひとりから短歌への誘いをいただいたのだから、出会いとは本当に面白い。

瑠璃色の戻り鰹の腹を裂く呑まれし鰯も銀色にひかる
釣り上げし五キロの鮃は夫の船にひときわ潮の匂いを放つ

 夫が漁に汗をながしている時、私はそこそこ山へも行かせてもらっている。

濃く淡く匂う緑を身に浴びて尾瀬の大地に深呼吸する
特攻兵が敬礼をして父母に別れを告げしとう開聞岳に立つ

 戦後七十年のこの夏、日本をとりまく情勢はただならぬものがある。今、私達に出来ること、やらねばならぬことを真剣に考え行動しなければと思う。少なくとも短歌を通して自分自身の意思を詠まねばならないと。
今年の五月に詩人の長田弘さんが亡くなられた。『世界は一冊の本』という作品に「生きるとは考えることができるということだ」という一節がある。やさしく深い言葉で人生を歌った福島県出身の詩人である。見えないものをみるというのは感じることであるとも。
見えないものを見る感覚をしっかり自分のものにできるように、目や耳を研ぎ澄まして生 きたいと改めて感じた。海の恩恵を充分に受けつつ短歌の先輩、仲間たちと互に切磋琢磨できる現在をもっと大切にしなければとも。
潮の匂いと日焼けした顔の夫が、いま漁より戻ってきた。昔話のお爺さんとお婆さんのようなこの暮らしがもう少し続けられたらと願いつつ、さて今日の獲物は何かなーと外に飛び出してゆく。

俎板に活け締めの鮃反り返る夫の手業の一本釣りなり

 

投稿者 Cnet製本工房 久保裕

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